私がトライアスロンデビューしたのは実家でもある
小豆島オリーブトライアスロン1992年大会でした
13回大会を最後に途絶えてしまいましたが
もし継続していたなら今週か来週が開催日です
もう29年前になるんですね
大学卒業と同時にクロスカントリースキーは辞めましたが
急に運動をやめると心臓に悪いということでトライアスロンをはじめました
当時は月刊誌トライアスロンジャパンしか情報源がなく
ウェットスーツを作るために岡山から大阪狭山の城本さんところまで採寸に行きました
はじめてのスイムはイワシの群れの中を泳ぐような感じで
びびって抜かれっぱなし
リストバンドのセンサーでタイム計測でしたが渋滞して立ち止まって
ウェットスーツを脱ぎながら順番を待った記憶があります
NTTのシリーズ戦なのに牧歌的だったんですわ
バイクは中古のクロモリロード
オニギリハンドルを外してプロファイルの一体型ハンドルに取り換えたのが
唯一の改造でした
ウォルバーのエアロリムでしたが今考えるとエアロ効果は皆無ですね
レースナンバーは22
地元出場枠だったので二桁だったんです
29年間でこれより少ない番号をもらったことはありません
当時は肌が黒いことがトライアスリートの証的なところもあって日焼けしてます
ケイデンスとかワット数なんて知りませんから
踏める一番重いギアで踏み倒すだけでした
ウェアは神戸のガレリア21まで買いに行きました
バイザーは岡山のKayamaさんにDeSotoがたまたまあったのかな
初トライアスロンはウケを狙って「勝訴」と書いたシートを掲げて
ゴールに駆け込むつもりでしたが
母から「勝ってないのに勝訴は変だよ」と指摘されて
「無罪」に変更しました
ぼちぼちウケましたがおちゃらけたのは最初で最後です
今もトライアスロンを楽しめる丈夫な身体と
見守ってくれる家族に感謝です
写真はすべてはじめて出場した時のもの
撮ってくれた父、エナ爺にも感謝です
優勝はグレンマンガムさんでした
昨日のworkout
バイク90km
計画通りなら今週は2日連続の180kmライド
せめて半分の距離は乗ろうとAsia120kmに参加しました
Cなのにペース速すぎ
17km手前で半数以上は脱落してました
周りの様子を観察して19kmで千切れて
ようやく本来のペースに落ち着きました
その後も集団の人数が増えてペースアップして
気を抜くことができませんでしたが
90kmを走り切って列車から降りました